ハロンの入り江

日常とかネットの話を書いています

吐き出しー

よそで書いてるブログがなんかバグったのでこちらで吐き出し。言葉で吐き出せないなら書くべしとどの本にも書いてあったような気がするのでこちらでー。

社員(仮)に戻った。久しぶりの会社の空気(とはいっても異動先だが)はシャバの空気というべきか引きこもりモドキには辛いものだった。あの社会性を嫌でも強要される空気、リア充とコミュニケーション上手に合わせてチューニングする脳内がすでに泣き言を言っていて胃腸がすぐにおかしくなった。わかりやすい。と思うけど、その不調具合が他人には伝わらないんだよねー。鬱ってのはさ、脳内伝達物質の不足とかなんとか言われてるけれど、結局は個人の頭の中で起こっていることだから他人の頭の中のことなんか覗けないわけで、「毎日なんとか働けている人」と「働くことも出来なくなった人」の脳内には差分が出来てて当然ちゃ当然なんだ。理解してもらうまで説明するのもめんどいし、すでにそんな話が出来そうな空気でもないwwいや、うん、わかっていたよ。自分だって他人の苦しみなんてわからないし、時間もないし仕事も忙しいのだからそこを理解していただくにはこちらの努力が必要だ。それも実るかわからない努力なのだから、何か、こう、とりあえず面倒くさいなーってすでに思っている。この面倒くさい病は何なのか。遺伝か何かかな?体力と気力がただでさえないのに病気でもっと削れてしまったから面倒くさいと思っても仕方ないよね。若干年齢を重ね、というよりやるせなさや空しさや意味のなさといったことを一気に経験したせいか気持ちが老け込んでなんかやるぞって気もなかなか起きない。本当やる気スイッチてのはどこにあるんかなー。不思議だなあ。それこそクスリでなんとかしてみたいものである。

東京に居たのに結婚した途端旦那の仕事の都合で沖縄で子育てすることになってしまった友達がいる。自分だったらその事実聞かされただけで駄目になりそうだけれど彼女はなんとか頑張って日々を過ごしているらしい。が、子供が2歳になりいわゆるいやいや期に入りお疲れ気味の様子で、こちらの愚痴を聞かせるためにスカイプをしたのになんかヘンに気を使ってしまい若干参ってしまった。そりゃそうだ。旦那は夜遅くまで仕事(とはいえ家族養うためだから仕方ないんだけど)、子供は目が離せなくなり、自分は自由に使えるお金が少ないため娯楽で気分転換もなかなかに難しい。「人生消化試合状態」という言葉が出てきた時は、ああこりゃ会社員と変わらないな……と思ってしまった。最初の頃はふざけて「早く東京戻っておいでww」と言っていたけれどその冗談もなんか言えなかった。母親になった女性が自分の欲を抑え込むそれこそ抑うつ状態にならないといいなと思う。でも人生消化試合だとなんかこれやるぞって気持ちになかなか切り替わらないんだよなー。しかしながら、わたしじゃない人の人生なのでどう転ぶかわからない。どうにかなっちゃったりする。いい時期と悪い時期がある。だからそれこそ本当道端の花の美しさにこころ揺らしたり青空の青さに感動したり電車の中で前に座っていた人が降りてたまたま座れたとかお水美味しいくらいの喜びを大切にしていかないと、なんか、心がどんどん渇いていくなと思った。

オタク活動に夢中な頃は異常に元気だった。あれはなんだドーパミンか何かが出ていたのかな。今はもはやそんな元気もなく萌えにまでたどり着かず、ただ消費するだけの俗物を成り果てている。別にそれでもいいんだけれど、誰かに何も影響させられないってのは少し寂しいものかもしれないと思う。

いつかもうちょっと元気になったら、また誰かを泣かせたり萌えさせたりできたらなあ。それまで様子見ということで、今はそれでいいのだ。言い聞かせる。